とかく伝統が重んじられる邦楽の世界では、師匠の芸を「真似る」ということが第一義というか、伝家の宝刀のように語られる。しかしそれに対して、必ずと言ってよいほどに、ラジカルな革新派から「では真似るだけで良いのか」という批判が起こる。そこまでは熱い議論が交わされるのに、何故かその先いつも有耶無耶で、この世界に何か新しいムーブメントは起こらずに、じわじわと衰退していくのは何故だろうといつも不思議に思っている。情けないが私自身も確たる意見が中々固まらないままに貴重な時間を取り逃がしているような気がしてならない。
そんな不甲斐なさの中で少し気になったある対談を引用して、同好の士の会話のタネにでもなればと思う次第である。以下はフランス文学者、澁澤龍彦と出口裕弘による三島由紀夫についての対談である。
出口 やっぱりずいぶん早くからあの人、日本の古典というのは読んだんでしょう。
澁澤 そうだね。『大鏡』なんかすごく好きだっていうことを、書いたりしてた。
出口 やっぱりそれは、三島さんの世代がどうこうというより、ま、あの人個人の問題だろうけど、ものすごく読んだんだね。
澁澤 それはものすごいよ。
(中略)
出口 あの人は、自分で自分の文章を練り上げてきた過程というか、手のうちを早いうちから明かして・・・
澁澤 そうね。ああいうのはおもしろいね。
出口 堀口大学訳の何々に影響されたとか全部やるじゃない。
澁澤 そう。まず鷗外だろう。それからスタンダール。
出口 モーリアックであり・・・
澁澤 最初は日夏耿之介や堀辰雄から始まってるけどね。
出口 そうそう。全部明かして見せるでしょう。《私のはそういうもののアマルガム(合金)である》と。潔いというか、ま、自信のあらわれなんだろうけどね。
澁澤 だけど、いまそういう風潮ってないよ。自分のスタイルを磨くためにね、先輩作家のまねをするという風潮は、全くないでしょう。
出口 極端な場合は、プルーストのバスティシュ(文体模写)みたいなことになるわけか。
澁澤 うん。そうそう。
出口 ああいうことを、僕ら、意識的にやったとは思わないけど、好きな作家なんか、入れ込んでると、もう似ちゃってさ。無意識のバスティシュみたいなことになってた。ああいう風潮はなくなったな。
澁澤 いま、ないよ。
出口 それは何かものすごく違っちゃった部分だね。
澁澤 ものすごく違ってる。
この対談は1986年2月とある。思い起せば同時期の尺八界は、山口五郎、青木鈴慕、横山勝也、山本邦山といった巨匠を最高峰とする模倣に満ち溢れていた。一見それは当時の尺八界におけるその“文体模写”が出口や澁澤のいわんとする事とかなり似ているように思われるかも知れないが、私には決定的に違っていたと思われてならない。それは、その“模倣”が「自分のスタイルを磨くため」という前提、或はその自覚が余りにも希薄であったと思うからである。
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